マテリアルとメカニズム

2014年10月25日(土)~12月14日(日)

フェリックス・カルメンソン

Felix KALMENSON

フェリックス・カルメンソン《OCT 1 00:00-- OCT 16 00:00》(プロジェクト)
撮影:山本糾

ウェブ社会におけるアーキテクト/アクティビスト/アーティストとしての社会設計

服部浩之

1987年生まれのフェリックス・カルメンソンは、8歳のときにウィンドウズ95が発表されるなど、物心ついた頃からコンピュータが家庭に普及し、インターネット環境が自然に身の回りにある世代のアーティストだ。そのためネット環境が整った情報化社会だからこそ生まれる思考法を根底にもち、創作活動を展開している。また建築を学んだこともあり、都市や建築の問題にも意識的で、ときにアクティビストのように社会との接点を探求していく。日本語で「建築」と表現すると多くの人が建物を思い浮かべるだろうが、カルメンソンの創作活動は、インターネットの普及により片仮名で頻繁に用いられるようになった「アーキテクチャ」という表現のほうがしっくりくる。アーキテクチャは、大別すると建築、社会設計、コンピュータシステムなどの意味がある。カルメンソンが探求するアーキテクチャは、主に社会設計であり、コンピュータシステムのそれだ。極めて論理的な思考のもと、コンピュータなどの装置を介して生成されるデータという非物質的なものたちの振る舞いを決定する仕組みや器となるプラットフォームを設計することから作品が展開されるのだ。カルメンソンの作品制作の根拠には、自身の内的衝動や自由な感性を表出するという態度はほとんど見いだせず、それとは逆に外的要因により決定されるものたちを導き出す環境としてのアーキテクチャを構築し、そこから自動的に生成されたデータを映像やインスタレーションなどに変換し、作品化していく。

上記を前提としたうえで、今回青森で制作した作品の構造を紹介し、カルメンソンの芸術活動を解析していきたいと思う。カルメンソンは5つの作品より構成される《OCT 1 00:00-OCT 16 00:00》というプロジェクトを実現した。タイトルが示すとおり、2014年10月1日午前0時から10月16日午前0時までの15日間、彼自身の生活をスキャニングしてデータを導き出し、それを変換して複数の作品を生み出すプロジェクトだ。具体的には、装着可能な身体のバイオリズムを測定する計測装置を身に付け、日々の生活を送り、彼自身の身体行為をデータに変換し、それらを用いて様々な形態の作品を展開し、その総体をタワー型のインスタレーション《データ・センター》として構築した。この《データ・センター》は、主に3つの要素をデータとして抽出した作品群で構成されている。

一つ目は、活動測量計 Fitbit Flex を手首に装着し、自身の身体活動をモニターしたものだ。Fitbitにより、歩数、距離、消費カロリー、睡眠パターン、水分摂取量、食物摂取量など、彼自身の日々の生活をデータ化し記録していった。通常はフィットネスにおいて活用される装置で、自身のフィットネスにおける目標を達成するためのモニタリングに使用する機器だ。《統計的運動分析》と題されたバナーに印刷された画像は、期間中にFitbit Flexにより取得した睡眠データと活動データを3D画像作成ソフトによって抽象度の高い立体的画像に変換し、風景のように描出したものだ。これらの風景は、《データの世界に浸る》と題された抽象的なコンピュータゲームの作品の素材ともなっている。このゲームは、活動量データを大地の地形に、睡眠データを空に見立てて合成し、鑑賞者はアーティストの身体データから生成されたランドスケープの中を自由に移動することができる。

二つ目は、ナラティブ・クリップと呼ばれる衣服に取り付けられるカメラで撮影された写真データを用いたものだ。これは30秒間隔で自動的に撮影する小さなカメラで、通常は装着者の日常の経験をひとつの物語のように記録して残す装置だ。このカメラの画像は、直接自分のコンピュータのローカルディスクに格納することができず、ユーザーが写真を見るために自らのフォトフォルダにアクセスするには、地球上のどこかに存在する不特定のサーバー上に写真を一度格納しなければ見ることができない仕組みになっている。それは個人の位置情報データだけではなく、使用者それぞれの物的証拠(写真データ)に対して、政府や企業体に情報源としてアクセス出来る可能性を与えているといえるかもしれない。そのサーバーへのアクセス情報のメタデータを《データ・センター》の正面に羅列して印刷し白日に晒すことで、情報の公開とそのプロセスが孕む政治性に言及する。同時にカルメンソンの15日間の行動を捉えた写真はインスタグラムのようなアプリケーションを介してウェブ上にアップされており、その写真は手前に設置されたスマートフォンで確認することができる。スマートフォンに現れる画像のみに着目すると個人の日々の生活のなんでもない風景であるが、実はその画像のアップロード行為は個人情報など様々なデータを第三者に自ら提供してしまう行為であることをその背後のメタデータが物語る。これらの《データ・センター》のファサードを担う総体は《物語的データ》と名付けられた。

三つ目のデータは、彼自身の身体や行為からは切り離されたもので、インターネットブラウザ Mozilla Firefox のアドオン Lightbeam(ライトビーム)によって生成されたデータだ。Lightbeam は、ユーザーがアクセスしたサイトと、そのページでアクティブになっているサードパーティのサイトとの関係を可視化するもので、ネットユーザーのプライバシーに関する認識を高める目的で提供されたソフトだ。インターネットおよびクッキーの記憶装置を通じて使用者のコンピュータへアクセスする第三者を追跡する。《ライトビーム》と題された作品は、Lightbeamによってサードパーティとアーティストのオンライン行動の接続をリアルタイムで可視化した画像のスクリーンショットの寄せ集めからなり、記録期間中アーティストのコンピュータにアクセスした第三者の会社名、場所、アクセス日時、アクセスを提供した主要なウェブサイトを明らかにしている。

この《ライトビーム》に関連してインターネット空間とセキュリティに関する問題を詩的に作品化したものが、壁面のテキスト作品《ありふれた風景の中に隠されたもの》だ。これは、Google のCEOであるエリック・シュミットのネット社会とプライバシーについての発言、「もし誰にも知られたくないことがあるのなら、おそらく一番はそれをしないことである」を引用したものである。カルメンソンは、このシュミットの発言を引用し、応答者がコンピュータでなく人間であることを確認するために使われる認証システム CHAPTCHA を思わせる歪められた文字の配列として構成した。ハッキングを防ぐ目的で採用された認証システムであるが、現在は人間がその文字を認識できないほど複雑化されていることも多く、本来の目的を果たせないものにもなっている。情報社会の複雑さと捻れのなかで、我々人間がデータに翻弄されている現状を、ウィットに富んだ表現で批判的立場から眺めるインターネット世代ならではの視点がこの作品には垣間見える。

私たちの身体的経験は、もはやウェブ環境と切り離して考えることは不可能だ。個人的な意見や主張を誰もが容易に公に向けて発することが可能になり、個人と社会の関係はより直接的で双方向的なものとなった。幼少時からウェブが前提条件として存在するなかで社会生活を歩んできたカルメンソンは、彼個人の身体的経験をインターネットという公共空間を介してデータ化し再構築することで共有可能な状態に変換し、現代社会における個人の存在と政治性について探求し、情報化社会におけるアーキテクト/アーティストとして新たな職能を切り開いていくのだ。

《データ・センター》

《ライトビーム》(部分)

《統計的運動分析》

《統計的運動分析》

《物語的データ》(部分)

《データの世界に浸る》

《ありふれた風景の中に隠されたもの》