呉夏枝(お・はぢ)×青森市所蔵作品展
「針々(しんしん)と、たんたんと」

染織を学び、織る、染める、結ぶ、染めるといった手法を用いて作品を制作する呉夏枝は、衣服や織りの行為を通して女性たちの、無名の人々の、語られなかった歴史や時間を浮き彫りにする視点をもった作品を制作しているアーティストです。本プログラムはこうした芸術家の視点を通じて、青森市所蔵の伝統工芸品や収蔵品を「もう一つの視点」から提示することを試みた展覧会です。今回は、麻織物を中心に、こぎん、さぐり、菱刺しが施され仕事着や肌着、あるいはかやなどといった所有者の時間と歴史を感じさせるような収蔵品と呉夏枝の過去作品および新作の写真作品を展示します。衣服は第二の皮膚であると言わんばかりの身体のぬくもりすら感じさせるそれらの作品の展示を通し、衣服や布に秘められた名もなき人々の濃密な人生や生活を浮き上がらせます。

*青森市歴史民俗展示館 稽古館
1977年に財団法人稽古館として開館、1998年青森市に移管された歴史民俗系の博物館。2006年に閉館。民具や民俗資料、北海道のアイヌ民族との交流、交易をしめすアイヌ民俗資料などの優れた資料を所蔵し、展示していた。閉館後所蔵資料は、青森市教育委員会に移管された。

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展示風景

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oh3 蚊帳(KK193)

oh2 呉夏枝《散華》2005年

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呉夏枝《花斑》2007年

撮影:山本糾

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「針々と、たんたんと」
呉夏枝

8月17日収蔵庫での調査5日目。10時半すぎ、収蔵庫に到着。職員の方にあいさつをして2階へ。いつものように机に資料を出し、床に布を敷き、カメラ、手袋を出し、準備をはじめる。この日の予定は、カヤ、下着類の調査。収蔵室内でカヤの入った箱を見つけるも、高い所にしまわれており、職員の方にお手伝いいただいて箱をおろす。その箱を開けると、一枚の半紙に墨書きで手紙がしたためられていた。

制作者 吉川ひさ 当時十五才
明治二年生
昭和三十八年二月八日 九十四歳で死亡
明治十年 麻の種を植える
麻の繊維を取り、その麻を織り、自分でカヤを作り、嫁入り道具として持参
金具も付いていたが戦時中金物提出の折、貴金属と共に提出し、現在はついていない
孫 北畠 みつ

2012年8月、8日間通ったこの収蔵庫には、旧稽古館が所蔵していた民俗資料が収められている。その中の一室には、主にこぎんや菱刺しなどの着物類、生活雑貨が置かれている。大きな棚が置いてあり、整然と箱が並べられてある。着物関係の資料は、一着ずつたとう紙に包まれ、数着をひとまとまりにして箱にしまってある。今回、調査を始めるにあたって、旧稽古館での展覧会の資料や、データベースで収蔵品をチェックし、収蔵庫での初日をむかえた。まずは、事前に目星をつけた収蔵品から調査を開始した。そうすると、同じ箱に入った他のものも気に掛かり、結局、同じ箱にあるすべてのものを開いて見ることになった。一着ずつ、紐解き、布の上にひろげ、写真を撮影し、メモをとる。この繰り返しで一日目に見られたのはおおよそ30着ほどであった。当初は、こぎん、菱刺し、裂き織り、ドンジャ(夜着)など、布にまつわる手仕事、日用品を5日間で一通り見たいと思っていたが、こぎんだけでも沢山あり、こぎんと菱刺しに的をしぼって見ることにした。それまで、こぎんといえば、紺地に白の刺し模様が入ったものと思っていたが、それだけでなく、地域による刺し模様の違いや、二重刺しこぎん、染めこぎんといわれるものがあることを知った。初日の調査で特に目を奪われたのが、データベースでは見分けることのできない質感をもつ着物類であった。

こぎんは、もともと「小布」「小巾」「小衣」などと書かれ、麻布で作られた短い単衣の仕事着をさす言葉であった(1)。補強、保温のための刺し子が、次第に独特の模様を生み出し、「こぎん」となった。津軽地方でつくられていたこぎんは主に三つの地域でつくられ、「東こぎん」「西こぎん」「三縞こぎん」とわけられる。また、津軽地方のこぎんが、着物に刺されたものであるのに対し、南部地方では、前だれ(前掛け)や、たっつけ(股引き)などに刺され、「菱刺し」と呼ばれている。

青森は寒冷地で、綿花の栽培を行なうことができなかった。また、藩政時代の倹約令によって農民の生活は制約され(2)、保温性のある木綿布もその対象であり、農民が着用するのは麻布に限られた。こぎんの刺し模様も、当初は麻糸で刺されていたが、次第に木綿糸が入手できるようになってから、紺の麻布に白の木綿糸で刺されるようになった。

今回の調査では、紺地に白の華やかなこぎんだけでなく、二重刺しこぎんや、染めこぎんは私にとって新たな発見であった。二重刺しこぎんは、こぎん着物のやぶれたところや弱くなったところに布をあてがい繕ってある。模様の隙間を埋めつくすように厚ぼったく重ねられた綿糸の刺しあとは、まるで身体の傷を覆うかさぶたのようである。

青森でつくられた麻布は、大麻がほとんどで、苧麻はわずかであった(3)。大麻は一年生で、収穫量も多い。それに対して苧麻は、多年生で、収穫量は少なく、栽培の手間もかかり上等品として貴重がられていたようである(4)。冒頭の文章にあるように、麻を自家用に栽培し、衣服、袋物、布団カバーや蚊帳がつくられていた(5)。織りたての麻布は、そのままでは固く、灰汁で煮て柔らかくし、天日にあて水につけることを繰り返して晒す。晒して白くなった麻布を自家栽培した蓼藍で染色するか、紺屋で藍に染めてもらう。染めたあとはさらに木槌で叩いて柔らかくした。

紺地に白の刺し模様が汚れると、さらに藍につけて染めたのが染めこぎんである。特に、年配の方が着たらしい(6)。こぎんは世代をわたって着用されていたという(7)。染めこぎんをみていると、晴れ着から日常着へ、そして仕事着へと、ほどいては仕立て直され一枚のこぎんを惜しむように大切に着られていた様子がわかる。洗っては叩く、染めては叩くを繰り返すことで独特のやわらかさをまとい、日々の労働、身体の痕跡としての布のしぐさが生々しくあらわれている。また、苧麻で仕立てられた染めこぎんは、黒く光沢し、苧麻独特の艶と張りのある質感へと変容している。

二重刺しこぎんの刺し跡や、染めこぎんの藍の色味、よごれやすり切れた跡は、日々の労働の証であり、一人のひとがそこに生きた証ともいえる。そのような痕跡は、当然ながら意図してできるものではなくどのようなものとも比較することのできない価値がある。

こぎんや菱刺しの模様は、布地の経糸の目数をひらい刺していく。こぎんは奇数目をひろい、菱刺しは偶数目をずらして模様をつくる。こぎんには、「ベコ刺」や「豆こ」など動物や植物の名がついた文様が数十種類あり、基礎となるものを中心にして、連続させたり、経、緯、斜めの直線で囲んで模様がつくられる。農村の女児は5、6才になれば、祖母や、母、姉から手ほどきをうけて針と糸を手に小物を地刺しするようになり、10才位で模様が刺せるようになるという。14才くらいになれば着物を刺すようになり、蚊帳と共に嫁入り道具として、4、5枚は準備したそうだ。上手な人は、多種類の模様をさす人もいたようであるが、地域によって、数種類の模様だけを刺すので、地域による特徴が見られたそうだ。模様が各地域へとひろがったのは、ある村の娘が、別の村に嫁に行くことで伝わったとのことである(8)。

麻の種を植えるところから始まる途方もない作業をへて生まれるこの衣服は、大変な苦労の積み重ねによるものであるが、多様な模様が生み出され、それが受け継がれてきたことは、そこに楽しみや、喜びもあったにちがいない。実際に、「友達や仲間と寄り合って競争して刺すこともあった」(9)そうで、その光景が目に浮かぶ。こぎん刺しの模様の中には、「轡繋ぎ」といわれるものがある。これは、魔除けの意味があり(10)、日常の祈りのあらわれともいえる。このように、糸のたしかな手触りと共に縫い込まれる祈りがあったに違いないと思う。シンシンと降る雪の中で布にむかい刺す時間は、誰にも邪魔されないかけがえのない自分の時間である。その時間を大切にしながら、淡々と日々の営みをこなす女性たちがいた。

今回の展示では、2004年、2005年、2007年に制作した作品を共に展示した。私が染織という技法を選択した経緯には、母親の影響がある。洋裁をする母の側で、幼い頃、まねごとのように人形の服を作っていた。大学で染織を専攻し制作する私を見て、母は祖母の遺品のチマ・チョゴリや、サンベ(大麻布)を処分せずにとっておいてくれた。《三つの時間》(2004年)は、祖母、母、私自身それぞれのチマ・チョゴリを着て撮影した写真を、祖母が残したサンベに転写した作品である。日常の記憶の中で重なるそれぞれの時間をあらわした作品である。《散華》(2005年)と《花斑》(2007年)は、第二の皮膚としての衣服をモチーフにしている。布を織るということはその身ぶりの痕跡を残すことであり、布はそのあらわれである。《散華》は布を織ることからはじめ、衣装に仕立てあげた。そこにたしかにいる存在の証としての衣装である。

衣服に残る痕跡は、個人の物語を語っているようである。それを、一着ずつ丁寧に包んで保管し、歴史や背景を綴り、その物語を大切につないできた人たちがいる。冒頭の北畠みつさんの手紙はまさにそれをあらわし、つながる個人の物語がみえてくる。それが私の作品と遠くのほうで結びつくのが見えたとき今回の展覧会が見えてきた。――針々と、たんたんと――音が聞こえてきたのである。

参考文献
『刺し子の世界―受け継がれた技―』、青森市歴史民俗展示館稽古館、2005年(カタログ)。
『装う―生活着にみる先人の知恵と技・こぎん刺しと菱刺しの世界』、青森市歴史民俗展示館稽古館、1999年(カタログ)。
『季刊稽古館』、vol.15、財団法人稽古館友の会、1995年。
横島直道『津軽こぎん』、日本放送出版会、1974年。

(1)『刺し子の世界―受け継がれた技―』、青森市歴史民俗展示館稽古館、2005年、5頁(カタログ)。
(2) 『装う―生活着にみる先人の知恵と技・こぎん刺しと菱刺しの世界』、青森市歴史民俗展示館稽古館、1999年、7頁(カタログ)。
(3) 飯田 美苗「麻糸のできるまで」、『季刊稽古館』、vol.15 、財団法人稽古館友の会、1995年、11頁。
(4) 横島直道編著『津軽こぎん』、日本放送出版協会、1974年、23頁。
(5) 『津軽こぎん』、149頁。『装う』、9,12頁(カタログ)。
(6) 『刺し子の世界』、28頁。
(7) 『装う』、12頁。
(8) 『津軽こぎん』、79-81頁。
(9) 『津軽こぎん』、149頁。
(10) 『刺し子の世界』、12頁。

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【アーティスト情報】
呉夏枝(お・はぢ)
1976年大阪府生まれ、在住。京都市立芸術大学美術研究科博士課程修了(美術博士)。主に染織、刺繍、編む、結ぶなどの技法をつかった作品を制作。衣装を象徴や記号的にとらえるのではなく、第二の皮膚としてとらえ、近年では、織物や、編み物を記憶や時間が織込まれたメタファーとしてとらえ、織りものをほぐすことで織込まれなかったもの、言葉として表れなかったものを顕在化しようとする作品なども展開している。2007年「京都府美術工芸新鋭選抜展〜新しい波2007/美術部門」(京都文化博物館/京都)、2011年「Inner Voices 内なる声」(金沢21世紀美術館/石川)など展覧会に招へいされるほか、染織関連のワークショップも多数実施。

 

主催:青森公立大学国際芸術センター青森
協力:青森市教育委員会文化財課、青森市市史編さん室

 

日時
2013年2月10日(日)-3月17日(日) 10:00-18:00
会場
ギャラリーA
対象
無料、会期中無休

ちょま夏用肌着(青森市教育委員会所蔵)撮影:呉夏枝