論考:しまうちみちか展覧会「ゆらゆらと火、めらめらと土」
Essay: SIMAUCHI Michika Solo Exhibition "Quivering flames, ardent earth."
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在るために揺れる
しまうちみかは2016年に熊本地震を罹災して以降、「自立」をテーマに制作し、また、近年では野外でのテラコッタ作品の焼成「野焼き」に取り組んできた。制作中に実感する火のコントロールの難しさと、人の高揚感や野蛮さのコントロールの難しさとの重なりを見ている。ACACでの滞在制作では、火にまつわる風習と人の高揚感についてのリサーチから、協働・公開制作「野焼き」で共に火を囲み、個展での発表と展開した。彼女はその過程で、火や(あるいは同時に)祭りの高揚感を扱う人から、現代社会が露呈する野蛮さの扱いの術を見出そうとしてきた。
会場でまず来場者が目にする《My Alter》にその試みは大きく表れている。今回の野焼きで制作したテラコッタを中心に、リサーチ中に出会った、ひょっとこ、かまど神など火にまつわる民俗資料だけでなく、東北の民具や玩具をはじめ、作家私物のこけしやスターウォーズのフィギュアまで列をなしている。2つに同名が付けられた《胎内巡り》のうち、一つは女性の胎内に火が内包される様子を表したもの、もう一つは、山と松明を持つ人をかたどったものだ。女性の体内はオーストラリアやニューギニアなどを中心とした火の起源についての神話に登場する(*1)。また修験道では、行者は母胎を象徴する山(土)を下り、火をまたいで修行を終えるが、リサーチを行った津軽修験の火性三昧法会では火を制することで不動明王と一体化し、最後は火渡りで締めくくられる。土が火をくぐって物が生まれたように、人間もまた再生や浄化の場面で火を欲している。
代表的な青森の火祭り、ねぶた祭りの華やかさは、明るく爽やかな夏と雪にふさがれる冬との境に必要な区切りであるという。ねぶたの話になれば、穏やかな青森の人も目の色が変わり饒舌になる。喧嘩祭りとしての側面を考えれば、非日常の熱狂は秘められた野蛮さを解放する術でもあったのかもしれない(*2)。しまうちは青森でのリサーチでこれらのことを発見してきた。
ミハイル・バフチンは「カーニヴァル的世界感覚」の要素として「脱体制」「常軌逸脱・エキセントリシティ」「対立項の結婚・メザリアンス」「俗悪化」を挙げている(*3)。さらに、あらゆる文化人は群衆のなかに溶け込み、一体化したいという欲望を持っているという(*4)。これらを踏まえると、身分も性別も規範も関係なく、普段は人目にさらさないことも露にされる特異な状況で人々が入り乱れる様子は、祭りの光景も、デモの群衆の様子にも共通性がある。
一方で《デモンストレーション》ではパレードの熱狂は静止した塑像で形取られ、その高揚感に対する相容れない目線を感じさせる。高度経済成長期もバブルも知らない世代のしまうちにとって、手放しの高揚感や激化する抗議活動の闘争心とは距離がある。さらに、2021年に戦後2回目の東京オリンピックにまつわる非難の渦を見ながら、それが時代の空気としても共有されていることを感じたという。しかし「カーニヴァル的」な状況が人の暮らしに必要だとしたら、祭りに人が誤りがちな高揚感や野蛮さを扱う術を見ることができるだろう。そういった彼女の期待は、パンデミックによって完全な形にはならなかったが、一方で、青森のお盆の風習や民俗資料についても関心を高めていった。
なかでもオシラサマ(*5)を《あそばせる》に反映し、自立の在り方について考察を深めている。例えば個人の「自立」について話すとき、それは他人に頼らない経済的自立や自律心を持つことだと想定される。家神であるオシラサマの造形は、多くの偶像が物理的に自立する造形に対して、柄を伴う点で特徴的である。人の手を介して自立することで、その神性(存在)を保つという、ある種の他力によるあり方を見せている。それはパペットが人の手を通して、アイドルとなることと酷似している。さらに、壁面に会期中に追加されたドローイングの馬の頭は異種な存在を示し、手はパペットの愛くるしさを自立させうる野蛮な他者ついて想起させる(*6)。
ここまでが《My Alter》が内包する作品群である。My Alter(「私の祭壇」)のなかで、長く彼女が慕い憧れるものと青森で見つけた敬愛すべき存在が渾然一体となって立ち表され、聖俗入り乱れるアイドル(idol、偶像)が掲げられる。一方で、盲信を誘う隠れた獰猛さにも目を向けるよう促していくのである。
《嘔吐》では自律性が過剰に求められ、感情の吐露も叶わない現代社会の圧迫感に対する疑問が表わされている。周囲に飛び散る泥から生まれ出るテラコッタは、排出と生産が同等に扱われるイザナミの国生みを想起させる。また、先述した火の起源としての胎内、再生の場としての山(土)と火というイメージを結び付けてみると、吐き出すという自浄作用は、むしろ生産の循環の中にあることが示される。
使用された青森で採れた粘土は現在しまうちの拠点の熊本へ移り、次の作品になる循環の中にいる。
《I won’t turn the other cheek.》もまた、陶酔する空気に懐疑的な目線を投げかける。目の色を変えて火に見入る若者からは、炎(大きな魅了する力)によって起きた盲信や恍惚が想像できる。一方で、同じものを見ているはずのモンスターたちの目には陶酔の色もなく、街を闊歩している。「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」というキリストの言葉をもじったタイトルも踏まえると、彼らからは大きな規範に対する従順さへの欺瞞と抵抗が読み取れる。どこか鬱屈とした田舎の洗練されない若者を思わせるのは《火についてのドローイング:野蛮なやつら》である。輝く火花で照らされる表情はマスクで隠され、「俗悪化」のなかで実行されるカーニヴァルは、刹那的な憂さ晴らしなのか、祭りの熱狂とも違う淀みを漂わせている。
火と土の関連からたどると、虫送り(*7)も着想を得たものとして大きな存在である。美術の範疇に入りきらない藁という素材に自身を投影した《セルフポートレイト I get my good looks from my dad.》では、ルーツとは異なる文化を無為にまとう姿が自嘲的に表された。ここで人のように振る舞う藁は、本来的に土に還るという点では私たちは藁と同等の存在であることを思い起こさせる。また《I won’t turn the other cheek.》の中央には銀色に光る虫が、彼らの前を掠め、その足元の土に染み込む文化の存在を想起させた。その悠々とした姿は、パンデミックを抑え込もうとする現代の発想とは対照的な、災厄へのしなやかな態度が示されている(*8)。
火は空気を得て立ちあがり、土は重力により自立する。《自立についての考察:「火を扱うときに精神的な自立が必要である」》では、現代社会で求められる合理的な人間の理想像が、ビニール製の送風機により自立するエアーダンサーに象徴され、それを模倣するも要領を得ず崩れて落下する粘土が、バイオリズムをもつ人間の身体の融通の利かなさを示している。風を送り続けなければ立てないエアーダンサーと、地面に落下しながらも在る太古からの土の性質との対比は、どちらにも軍配を挙げることなく、私たちに在るという方法の複数性を示している。火を燃やすには空気が必要である。 一方でSNSでの炎上は、正義感や猜疑心を吸い込んで燃え上がり、人の心を焼いていく。《シビライズドはにわ》はアラン編みの美しいセーターを着ながら、スマートフォンを手にその業火に向かう様子であろう。「夜は暗いです。全ての灯りを消すように」は、パンデミック対策に苦慮する小池百合子都知事の発言内容から引用されている。《ネオンサインが私の頬をピンクとブルーに染める(錦糸町)》とともに、ネオンに代替された火にも寄り集まる私たちの性さがと、共にあるという根源的な欲求までも抑え込もうとする現代の不寛容さを象徴している。
原初的な物づくりの方法である野焼きを経た作品群《My Alter》や火の起源と接続する《嘔吐》から展覧会場の奥に向かうごとに、代替された火が生む現代の光景が浮かぶ。一方で、火が在るために空気を求めるような他者との共有の欲求と、それが燃え上がりすぎないよう火守りをするような精神のコントロールといった、今も昔も変わらない、自己がどう在るかの議論に繋がっていく。よく「自立」と「自律」は併せて語られ、整合性や価値の一貫性、ある種の排他性を求められることになる。しかし、しまうちは「ゆらゆらと火、めらめらと土」において、自立するということの多義性を示し、両極を行き来しては寄りかかる、火が揺らめくように不安定な人間の姿を肯定している。これからも彼女は、ゆらゆらと揺れる野蛮な性質を持ったまま、現代を生きることを提案するだろう。思い起こせば《胎内巡り》の人物は、ダウンジャケットを着て、松明を持っていたのではなかったか。
*1 J・G・フレイザー『火の起源の神話』筑摩書房、2009年
*2 小山隆秀「『伝統』の希求と創出―青森県津軽地方のねぷた喧嘩
習俗を事例として―(民俗儀礼の変容に関する資料論的研究)」(『国立
歴史民俗博物館研究報告』第205集、pp. 211〜243、 2017年)
*3 北岡誠司『現代思想の冒険者たち 第10巻 バフチン―対話とカーニヴァル』講談社、1998年、pp. 316〜320
*4 前掲書 pp. 380〜382
*5 東北地方に伝わる、2体で1つの家神様。片方には女性の頭、も
う片方には男性の頭あるいは馬の頭が彫られていることが多い。しまうちが青森県立郷土館や青森市教育委員会の協力で見たものは、頭部は布切れで覆われ、柄のついた20cm程度もの以外に、自立する足がついた1m以上のものもあった。
*6 しまうちは現代社会において覆い隠されてしまう「大きな力」について語っている。https://youtu.be/BTtFNpehaPU
*7 津軽地方の虫送りの原型は相内に伝わるものとされている。五穀豊穣を願って、藁でできた「虫」は町を練り歩いた後に、木の枝にかけられ朽ちるまでそのまま風にさらされて土に還る。作物を食べる虫は飢饉で苦しんだ人の生まれ変わりと考えられ、土に還す行為は祖先の弔いでもある。1964年から合同運行として継続している「奥津軽虫と火まつり」では、駆虫の際に植物を焼いていたことになぞらえて、練り歩いた虫たちは最後には焼かれる。
*8 道祖神は、村の入口にいて災厄から村を守る存在である。しまうちが青森県立郷土館で見学した、かつて十和田市の梅集落で行われていた行事「人形立て」で設けられる、男女一対のカヤ人形は、厄をもてなして穏便に払うためにソバ餅を胸に刺している。
撮影:小山田邦哉
執筆:村上綾(青森公立大学 国際芸術センター青森 学芸員)
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しまうちみかSHIMAUCHI Mika
1987年、熊本県生まれ。2013年、崇城大学大学院芸術研究課修士課程彫刻専攻修了。菊池旧龍門小学校アーティスト集合スタジオを拠点に活動する。自身の心象風景として描かれるドローイングから発想されたモチーフを彫刻作品へと展開する。作品にみられる頼りない造形は、合理化やグローバル化により平均化されていく私たちに対してのアイロニーと、それでも合理的になりきれない私たちをユーモラスにあらわそうとしている。主な展覧会に、個展「自立について」福岡アジア美術館企画展示室C (福岡、2020年)、トーキョーアーツアンドスペース レジデンス2020 成果発表展「デイジーチェーン」Tokyo Arts and Space 本郷 (東京、2020年)など。
Moment of Inertia
SHIMAUCHI Mika continues creating works under the theme of “independence”after having experienced the calamities of the 2016 Kumamoto earthquake, and as of late, has added terracotta works utilizing “no-yaki,” or open-firing techniques. Throughout the production process, Shimauchi has found similarities in the difficulties wielding fire mirror the difficulties in keeping our emotions and tendencies under control. During her residency, her research spanned from the human emotions of elation to the customs surrounding fire, which made an appearance in her collaborative and public productions of “open-firing.” The workshops led up to the opening of her solo-exhibition and presentation. Through various processes, she has sought to make observations on the primitiveness that modern society reveals from those who deal with the exhilaration of fire and (at the same time) those emotions present at festivals.
The first piece visitors encounter is “My Alter” in which these endeavors are clearly reflected. Focusing on the terracotta created in the open-firings, we see not only local representations of Hyottoko, Kamado God, folk tools surrounding the fire rituals, but also cameos of wooden kokeshi dolls and Star Wars figurines—pieces from the artist’s personal collection—all in a row. Two works with the same title of “Tainaimeguri,” one depicting a woman who contains a fire in her torso, the other showing a figure holding a torch before a mountain. The female body and anatomy plays a prominent role in the origins of fire stories, especially those told around Australia and New Guinea (*3). Furthermore, in Shugendo Buddhism, practitioners usually descend from the mountain (soil), symbolizing the womb, crossing the fire to end their pilgrimage. In contrast, the practitioners of Kashozanmaihoe in the Tsugaru area harness fire, becoming one with Fudo Myou to close the ceremony. Humans have a need for fire to mark beginnings and endings as well as in the purification process.
The splendor and gorgeousness of the Nebuta Festival, the representative fire festival in Aomori, is a necessary distinction between the bright and refreshing summers and the snow blanketed winters. Even a calm Aomorian gets in a loquacious mood when the topic of the Nebuta Festival is mentioned. Known a fighting festival, it might have been an extraordinary way to release some of the tensions hidden within ourselves (*2). Shimauchi has discovered examples of these actions through her research in Aomori.
Mikhail BAKHTIN mentions “deviance,” “eccentricity,” “marriage of opposites,” and “vulgarization” as elements of “carnivalesque” (*3). Furthermore, he goes on to say that all cultured people have a desire to blend into the crowds (*4). Based on these, the atmosphere of the festival and protests alike invite people to expose a rarely seen facet of themselves to others, regardless of status, gender or norm.
On one hand, “Demonstraytion” portrays the enthusiasm of the parade, shaped into a stationary image, which is in turn being peered at with an inconsistent set of faces at the display of enthusiasm. There is a distance felt from the period of high economic rate and the Japanese economic bubble, especially for those in Shimauchi’s generation, which also leads to a disconnect to the feelings of enthusiasm and combative spirit behind the protests of the time. Furthermore, we can get a sense of the times looking at the barrage of criticism surrounding the 2021 Olympics, held for the second time in post-war Japan. If it is necessary to have this “carnivalesque” in our lives, we must also come to terms with the possible errors that occur in the exuberance at festivals. Though her wishes to witness various events could not be fulfilled this time due to the pandemic, she was able to nurture her interests in the unique Aomori customs of the Bon Festival and folklore.
Within these, the presence of Oshirasama (*5), invited us to delve into themeaning of being independent in her work “Let there be play!” For example,when talking about our own personal “independence,” one usually assumes that we are independent from others both mentally and financially. The guardian deity of the house, Oshirasama, is unique in that unlike other gods and idols, it does not follow the traditional free standing form. Through the hands of humans, it keeps its divinity (existence) while becoming independent through these outside forces. Much like a puppet in the hands of a person, it also mimics the way in which idols become famous through their audiences. The wall hosts an array of drawings, one of a horse representing the existence of other beings we depend on, while the hands are reminiscent of the unknown puppeteer, animating the puppet’s charisma into existence (*6).
Up until this point, these are all the works contained within “My Alter.” In this assortment, we can find a perfect union of the new things she came to discover and love in Aomori alongside the familiar things Shimauchi has long admired. A harmony of eternal and temporal beings. Meanwhile, our gaze cannot help but notice the fervor of the congregation in front of the altar.
The work “Eww,” looks intently at the overoppresive society we live in thatholds a standard strict to the point of isolation from our thoughts. Just asmud is the source of terracotta, its speckled patterns in the surround ingareas reminds us of the great effort and refuse involved in birth, alluding tothe story of Izanami’s role in creating the country. In addition to theafore mentioned image of the womb as the origin of fire, linking the imageof the mountain (soil) as a place of regeneration with that of fire, one canfind that while spitting out something is self-purification, this act could also be a part of the cycle of rebirth. The soil that was unearthed in Aomori has now moved to Shimauchi’s base, Kumamoto, and is currently in the process of transforming into the next works.
“I won’t turn the other cheek.” casts a skeptical glance at the euphoric atmosphere. One can imagine the euphoric eyes of the youth impulsively enraptured by the flames (a great fascinating power). The eyes of the monsters who should be looking in the same direction, however, are not intoxicated in the least, as they are busy prancing around the town. Based on the Christian bible excerpt, “If anyone slaps you on the right cheek, turn to him the other also,” aware of convention and conformity, the monsters stand ready in opposition to deception. The underrepresented gloomy youth of the countryside is visible in “Drawings about Fire: Savages.” The foreground is likely filled with the pomp of the festival, “popularization” parading on the main stage, however, this is a glimpse at the faces hidden behind firework tinted masks, perhaps out on the town as a temporary escape.
Tracing the relationships between the soil and fire, “The Insect’s Procession” (*7) is also a major inspiration and is present in the halls. In the “Self Portrait: I get my good looks from my dad,” one can see a figure made of straw—a material hardly used in the art world—bashfully clad in garments from a culture far from its own. The straw imitates the movements of
humans, and reminds us that, despite our different paths, we both return to the soil. In “I won’t turn the other cheek,” an insect, glimmering silver in the light passes by them, returning to the soil permeated by the endless by the modern day mindset to overcome the pandemic (*8) .
In the same way that air is essential for fire to rise up, gravity is key to the self-sustainability of the soil. “Thoughts on self-reliance: When working with fire, independent thinking is required” further reminds us of the ideal images of independence and rationality imposed by society, juxtaposed by the air dancer rising and falling wildly powered by the plastic fan, the clay attempting to imitate it pointlessly, draws our attention to the biorhythm within us orchestrated by our ever adapting bodies. The two distinctive beings – the air dancer which cannot rise without air and the ancient nature of the earth susceptible to gravity – are presented to us as a way to observe the multitude of facets in being human without favoring one over the other.
Air is needed for fire to burn. On one hand, SNS employs an air of justice and suspicion by harnessing the flames, and in turn scorching people’s hearts. “‘Civilized’ Haniwa” is perhaps one of those heading into the brimstone donning a beautiful aran pattern sweater. “The night is dark. Turn off ALL the lights.” is a quote from Tokyo Governor Yuriko Koike’s speech in her endeavor to contain the pandemic. “The neon sign dyed my cheeks in pink and blue. (Kinshicho)” is not only about the fire which has transformed to neon lights in modernity, but also speaks to the innate urge, our nature, to come together by said fire despite outside forces.
The visitor traverses through time in the gallery, starting with the ancient practices of open-firing seen in “My Alter,” the prehistoric birth of fire represented in “Eww,” to the latest transformation of fire into brilliant neon lights. Fire requires air to exist in the same way we have an urge to connect with others while also exercising a level of self-control to prevent the fire from raging or becoming extinguished, and just as our ancestors before us, ties us back to the discussion of what it means to exist. The terms “independent” and “self-reliant” are often used interchangeably, consistency and uniformity of values leave room for a certain form of exclusivity. However, in “Quivering flames, ardent earth” Shimauchi has materialized a study about independence and its ambiguity by raising a mirror to our complexion, showing the paths we take created by our rhythmic movement, like dancing flames, in all directions – anchored by our catalyst. We can see her proposition to brandish her true nature in her future endeavors, flourishing as she goes. At least, if I remember correctly, the person in “Tainaimeguri” was wearing a down feather jacket and carrying a torch,weren’t they?
*1 James George FRAZER. “Myths on the Origins of Fire.” Chikuma Publishing, 2009.
*2 OYAMA Takahide “Longing for and Creation of ‘Traditions’: A Case Study of Kenka Neputa in the Tsugaru Region in Aomori Prefecture Research Based on Study of Materials on Transformation of Folk Rituals.” Bulletin of the National Museum of Japanese History, Vol. 205 pp.211-243, 2017.
*3 KITAOKA Seiji. “The Pioneers of Contemporary Philosophy Vol. 10 Conversation with Bakhtin and Carnivalesque” Kodansha Publishing, 1998, pp.316 – 320.
*4 Kitaoka, op. cit., pp.380-382.
*5 A tradition observed in the Tohoku areas is that of the home guardian deity being composed of a pair. One is the head of a woman while the complimentary half is that of a man, but it is common to have the head of a horse instead. Thanks to the Aomori Prefectural Museum and the Aomori City Board of Education, Shimauchi had opportunities to see various Oshirasama.Traditionally, the heads are covered in cloth and put on a supporting stick – heights ranging from 20 cm to over 1 meter.
*6 Shimauchi speaks of a “great power” that is obscured by modern society. (https://youtu.be/BTtFNpehaPU)
*7 The roots of Mushiokuri, or “The Insect’s Procession,” of the Tsugaru region is said to be in Aiuchi. In the form of a prayer for abundant crops, the locals make an “insect” out of straw which is paraded through the town before being placed in a tree, exposed to the wind until it returns to the soil. It is thought that insects that eat the crops are the incarnation of people who
suffered from famine, and so the action of the straw returning to the soil is like a funeral to honor our ancestors. Currently, in the “Okutsugaru Insect and Fire Festival” which has continued joint operations since 1964, the “insects” are ceremonially burned at the end as a nod to the plants and grasses burnt as a method of pest control.
*8 The Dozojin’s place is at the entrance of the village, in order to protect from calamities. At the Aomori Prefectural Museum, Shimauchi saw examples of the “Doll Display” events that would have taken place in the former Ume Settlement of Towada City, where the male and female pair of straw figures called Kaya dolls take on the job of welcoming evil, and in order to pacify
it, also have an offering of buckwheat rice cakes protruding from their chest.
Photography by OYAMADA Kuniya
Text by MURAKAMI Aya, Curator of Aomori Contemporary Art Centre, Aomori Public University
Translated by Vareria REYES
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SHIMAUCHI Mika
Kumamoto native artist born in 1987. Graduate of Sojo University Graduate School of Art Masters with a master’s degree completed in 2013. Shimauchi is currently based in the Kikuchi Ryu-mon Artist’s Studio inside a former elementary school.
She develops motifs from her own personal landscapes and exhibits them as sculptures and various works. The imperfections visible within the works are a motion to humorously represent the irony of the over efficiency of our lifestyles under the weight of globalization created by mankind, and yet how we are unable to fully adapt.
関連プログラム
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しまうちみか公開・協働制作「野焼き」SHIMAUCHI Mika co- production "Open burning"2021年6月中旬 - 7月中旬mid of June - mid of July, 2021
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オープニング・アーティスト・トークOpening Artist Talk2021年7月31日(土)14:30-16:00Jul. 31 (Sat), 2021 14:30-16:00
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