海外派遣事業ー鎌田さんのブラジルレポート(3)

2018.1.7.日曜日

今回が最後のレポートになります。

12月27日、28日とレジストロという20世紀初頭に建てられた日本家屋が沢山残っている地域にリサーチに行ってきました。今回もACACで一緒だったレナータが同行してくれました。
サンパウロから車で3時間ほどかけてレジストロ到着後、まずは日本文化協会会長の福澤さんにお会いしてお話を伺います。
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レジストロは1916年頃から日本人の移住が始まり、数年で250ほどの家族が移住されたそうです。ブラジルにおける日本家屋は当時最初に移住した人たちが建てた簡易的なものを第一期住宅、その後定住目的に建てられたものを第二期住宅と呼び、現在は第三期、第四期の住宅がほとんどなのだそうです。
レジストロには1920年〜30年代に建てられた第二期住宅が多く現存しています。(ちなみにレジストロ地区の第二期住宅の一軒は名古屋の明治村に移築されています。)ブラジルの日本建築の研究をされている肱岡さんも同行してくれ、4人で日本家屋が残る森の中まで車で向かいました。
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レジストロはサンパウロのアマゾンと呼ばれているそうで、整備されていないジャングルの中の道をどんどん進んで行くと突然、日本家屋が現れました。
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日本のほぼ真裏のジャングルにひっそりと存在する築100年近い朽ちた日本家屋。この日本家屋が現存しているという事実に感動しながら写真と映像をひたすら撮りました。
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建築にまつわる歴史を色々と伺う中でとても興味深いエピソードを伺いました。当時日本から来た人たちは建築の工法の知識はあってもブラジルの木材に関する知識は全くありませんでした。この地域の森には日本の人々が来るだいぶ前から1888年の奴隷制廃止によって解放された人々が住んでいたようです。その先住民たちはブラジルの木や植物の特性を良く知っており、日本から来た人々と接触し、材料の特性や使用法を伝えたそうです。この時点で文化が混ざり合っており日本の日本家屋とは少し違う日本ブラジル家屋が生まれていたのだと驚きました。

当時の人々の暮らしに思いを巡らせてみましたが、その過酷さは想像できないほどであったと思います。
しかし実際にこの地を訪れ、視覚情報ももちろんですが、気温や湿度を体感し、匂いを嗅ぎ、飛び交う虫を払いながら、ぬかるんだ土を踏みしめていると、本やインターネットでリサーチをしていた時の何百倍、何千倍もの情報を受け取ることができました。ほんの少しですが歴史にダイレクトに触れた思いでした。

二日間で8軒の日本家屋を案内していただきました、少し写真でお見せできればと思います。
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案内していただいた福澤さんや肱岡さん達はこういった日本家屋の保存運動を行っているのですが、素材面、技術面、管理面などで多くの課題があるとおっしゃっていました。保存の困難さも含めて次作のプロジェクトはこのレジストロと日本をテーマに何かできたらと思います。
ちょうど一昨年ACACにて発表した「The House」の水面に映る反転した家屋のイメージが、文字どおり反転した位置に存在しているブラジルの日本家屋のようで、二つの家屋の関係を主軸にした新作のイメージを強く思い描きながらレジストロを後にしました。
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ブラジルレポートはこれで最後になります。ご一読ありがとうございました。

アトリエフィダルガ主宰のサンドラ、アルバーノを始め、一緒にリサーチをしてくれたレナータ、レカ、またサンパウロのアーティストの皆様、レジストロの皆様、モジダス・クルーゼスの皆様、日本移民資料館の皆様、最後にこのリサーチプロジェクトに送り出してくれたACACの皆様、本当にありがとうございました。
このリサーチが作品に結実し皆さんにお見せできる日を楽しみにしています。

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