海外派遣事業ー鎌田さんのブラジルレポート(2)

2017.12.27.水曜日

前回のレポートから少し間が空いてしまいましたが、ブラジルでのリサーチについてご紹介できればと思います。
私は現在、1900 年代頭から戦後までの間に建設された⽇本家屋についてのリサーチを韓国、⽇本、アメリカをメインに⾏っています。韓国には1910 年以降、統治⽬的に数多くの⽇本家屋が建設され、未だにその多くが残っています。韓国には⽊材資源が少なかったため⽇本から⽊材が運ばれました。しかし⽇本とは気候や環境が違うため、現在残されている多くの⽇本家屋は壁が増設されたりリノベーションされていますが、歴史問題を考えるための重要な役割を果たしています。

⼀⽅ブラジルには1908 年以降多くの⽇本⼈が移⺠として住み始めます。もちろん状況は韓国とは全く違い、労働者として移住した⼈たちは当時森林を伐採するところから⽣活を始めなければなりませんでした。当時の⼈たちがいかに⾃分たちの⽂化様式をブラジルの地で作ることができたのか、またはできなかったのか。⼤きく環境が変化した時に⽣活の基盤としての建築はどのように変化、適合するのか。といったことがブラジルでのリサーチのコンセプトです。

IMG_6289_2

↑「⽬で⾒るブラジル⽇本移⺠の百年」より抜粋

まずは前回のレポートでも掲載した⽇本⼈移⺠博物館に再び伺い、図書資料室の担当の⽅にお話を伺い、様々な写真を⾒せていただきました。写真はレジストロ地区の⽇本⼈が建てた建築ですが、開⼝部のあり⽅が⽇本のものとは異なるようです。材料はブラジルの⽊材を使い、壁は⽇本式の⼟壁を使っていたようです。レジストロは今週リサーチに⾏く予定なので後⽇また詳細をレポートできればと思います。

IMG_5947_2

IMG_6027

IMG_5950_2

さて先⽇はモジ・ダス・クルーゼス地区に残る1942 年築の元紅茶⼯場の⽇本建築を調査してきました。カザロンドシャと呼ばれる建物で現在は国指定の重要⽂化財になっています。⽇本⼈⼤⼯の花岡⼀男さんが設計、建築したそうです。リサーチはACAC で⼀緒にレジデンスをしていたアーティストのレナータとアトリエ・フィダルガに滞在しているアーティストのレカが同⾏してくれました。この建築は去年のACAC でのレジデンス中にレナータが⾒せてくれたもので、こんなに早く実際に訪れることができて多⽅⾯に感謝です。

IMG_6196_2

カザロンドシャはとても特異な建築で、基本⼯法は⽇本式ですが⽊材は現地のユーカリ材を使⽤し、内部には⼤きな空間を作るためにブラジル式のトラス構造が使⽤されています。

IMG_6241

⼀番驚いたのは⽊材の⾃然の形をそのまま利⽤し、⽊組された部分です。

IMG_6214

IMG_6201_2 IMG_6161_2 IMG_6164

IMG_6163

↑これは階段部分です。

⽇本の茶室などの⼀部に⾃然そのままの⽊材を⽣かして使⽤している例は⾒たことがありますが、ここまで⼤胆かつ複雑に組まれたものは⾒たことがありませんでした。そもそも⼯場建築にここまでこだわった作りをしていることが不思議ですが、⼤⼯の花岡さんは⽇本で学んだ技術とブラジルの⼤らかな⾃然環境の融合を試みたのかもしれません。建築にまつわる様々な規定から解き放たれ、建築における造形性を探求した花岡さんの個⼈的な野⼼を感じ取ることができました。

現在管理をしているのは中⾕さん親⼦で、当⽇は年末で休館中にも関わらず内部⾒学をさせて頂き感謝です。普段は⽂化施設として展覧会なども開催しているそうです。⽇本語とポルトガル語でインタヴューもさせて頂きました。

IMG_6231

IMG_6207

ちなみに周りは⼤⾃然でカピバラが出るそうです。

IMG_6250

素材、気候などの環境的条件と個⼈のアイデアで建築様式がここまで変化することに驚きましたが、次回は⽇本の家屋様式に近い建築がいくつか残っているレジストロ地区のレポートを書きたいと思います。

最後にいくつか写真を。
イビラプエラ公園内にある⽇本パビリオンへのリサーチの様⼦。

IMG_6056_2

↑⽇本建築とブラジルの植物たち

IMG_6123

↑⽇本語で話せるので⼀安⼼なひと時。

IMG_6093_2 IMG_6097_2

同公園内にはたくさんのオスカーニーマイヤー建築があります。開放的でした。

次回が最後のレポートになるかと思います。それでは!

このエントリーをはてなブックマークに追加